アボリジニ オーストラリアの先住諸民族について

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アボリジニとオーストラリア大陸の歴史

 

1788年のイギリス人による本格的な入植以前より、先住諸民族アボリジニはオーストラリア大陸全域で暮らしていました。文化人類学者や史学者によると、アボリジニはおよお5万年前に、当時は地続きであったアジア大陸から、タスマニア島やニューギニア島とも地続きであった現在のオーストラリア大陸に渡来した言われています。およそ4万年前のアボリジニの道具の遺物が、私の暮らす西オーストラリア州のスワンリバー上流で発見されたそうです。およそ3万年前までにアボリジニは大陸全土に広がっていったと考えられています。

およそ1万年から6000年前の間に、海水面が現在のレベルまで上昇し、現在のオーストラリア大陸とタスマニア島やニューギニア島等が分離したそうです。それ以降、タスマニア島を含む各島々先住民族は、大陸のアボリジニと異なる文化を築いたそうです。そのため、タスマニア島のアボリジニを、オーストラリア大陸の先住民族と区別して“タスマニア先住民”と呼ぶことをあるようです。残念ながら、白人によるタスマニア島侵攻により、アボリジニへの純血のタスマニア先住民は1876年5月8日をもって絶滅してしまいました。

白人によるオーストラリア大陸入植により、アボリジニは肥沃で温暖な土地から内陸の不毛な乾燥地帯等の僻地へと追いやられました。原始的な道具で抵抗するアボリジニにとって、白人の持つ近代的武力は敵いようがありません。白人入植者によって多くのアボリジニが捉えられ殺害されました。加えて、白人が持ち込んだ病原菌の猛威にも苦しめられました。

力なくも生き延びたアボリジニを待っていたのは、白人による文明化と称した虐待でした。特定の居住地区に収容され、イギリス植民地政府や宣教師などによるアボリジニとして生きる彼らの人格を否定する行為が繰り返されたようです。

現在もなお、未解決な社会的問題としてオーストラリア社会に影を落とす“失われた世代(Stolen Generation)”問題が代表例で、これは白人によるアボリジニ親子の隔離、そして白人同化政策です。つまりアボリジニの子供を合法的に捕らえ、白人によって育て、白人の血の通う子供を生ませ、それを繰り返し、そうする事で産まれてくる子供を次々と白人の血が濃いように仕立てる白人同化政策で、第二次世界大戦後も続けられました。この問題は後に“Rabbit proof Fence ラビット プルーフ フェンス(邦題、裸足の1500マイル)”という実話映画にもなりました。

白人入植以前はおよそ30万人いたと言われるアボリジニもこのような状況の中で激減し、1920年代には推計6万人程度まで減少したようです。近年の保護政策により人口は回復しつつあるのですが、伝統的な生活を営むアボリジニは激減傾向にあるようです。

先住諸民族アボリジニが公式にオーストラリア市民権を獲得したのは1967年になります。以降も先住民土地権など、公平を求めての様々な訴訟が行われ、徐々に失われた土地や伝統文化を取り戻しています。一方で、アボリジニ本来の道徳を受けられず、都市での西洋化による弊害もみられます。例えばアルコールによる問題などです。残念ながらアボリジニの犯罪率は白人の数倍に及びます。

一度失った伝統文化そして民族的秩序を戻すことは大変困難です。しかしながら、アボリジニ文化を理解することで、アボリジニ自身にとっても私達にとっても、何か明るい兆しが見えてくるのではないでしょうか。

 

 

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WA>西オーストラリア州について:2006年6月19日更新

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